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〜激動の20世紀 未知の21世紀 20年の軌跡〜

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JRA発病@1985

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小学6年生の1月某日、スキー授業にてジャンプの着地に失敗し、転倒。
左手を雪面に打ちつけた。でも奇跡的にケガもなく放置。
数日後、朝起きると、右足首の激痛で立つコトも出来ない。
急遽近所の外科に行き、捻挫と診断される。
スキーの転倒事故後、かなりの日数経ってるのに?っと不信感を得る。

日に日に痛みが増し、同病院にて再度血液検査・レントゲン。
原因不明の為、総合病院の小児科を紹介される。

2月中旬。S病院の小児科を初診。血液検査後、若年性関節リウマチと診断。
即入院と宣告される。右足首の腫れとともに激痛、37度台の熱。
数週間で一時退院するも、右手首、両膝にも痛みが発症。

3月、小学校の卒業式。校長先生の握手で飛び上がるほど激痛が走る。
卒業直後、再入院。中学校の入学式は病院から直行。
2〜3回、病院から地下鉄を乗り継いで通学。その後欠席が続く。
38度台の熱になり、徐々に右手首が変形。
リウマチ反応も高く、貧血も強い為、飲み薬が4〜5種類になるが効果なし。

夏休みに入る頃、長期療養になる為、院内学校のある病院に転院。
転校手続き完了。同世代の様々な難病を抱える友人と出会う。

服用薬をアスピリン1つに限定し、シオゾール注射@週1開始。
同時期に肝機能障害発症。1週間絶対安静。その後回復。
関節の痛みは続くも、変形していた右手はコルセットのおかげで
くの字に曲がった手首は、驚くほどまっすぐに復活。
入院仲間と楽しく毎日を過ごす。週末には自宅に毎回外泊。
11月。初めてチェッカーズのライブに参加し、のめり込むことに・・・。
そして、忘れもしないクリスマスイブの夜、水ぼうそう発症。自宅安静。

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思春期@1986
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年末年始は高熱にうなされたが、3週間後、水ぼうそうも治り、病院に戻る。
中学2年生に進級以降、リウマチ反応も落ち着き、痛みも激減。
体育の授業でバトミントンができるまでに回復し、退院決定。
2学期より元の学校に戻る。
雪が降り始めた頃から痛みが強くなり、炎症反応も高くなり、休みがちになる。
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音楽好き@1987

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年明け早々、再入院&再度転校手続き。
同級生2人と大学生の兄チャンとの病弱4人組バンド結成。
担当はドラム。チェッカーズとレベッカのコピーバンド。
先輩を送る会で“one night angel”と“フレンズ”を初披露。

普通学校で修学旅行も参加したいし、卒業したいというコトで無理矢理退院。
新学期と同時に再度元の学校に転校。
6月、車椅子で修学旅行参加。でも車椅子にはあまり乗らなかった。

進路相談と同時期に痛みが再発し、休みがちになる。
出席日数・通学などの問題で公立・私立ともに厳しい状況に陥る。
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行動派@1988

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中学卒業後、病院をJRAと診断を受けたS病院の内科@リウマチ外来に変更。
若年性関節リウマチからいつの間にか慢性関節リウマチとなる。
アスピリン1日3回/2錠の服用とシオゾール25mmの注射を月1受診。

某高校進学後、某放送局にて実行委員メンバーとなり、編集部担当となる。
GW、家族旅行で九州・大阪・東京を車で横断。
夏、プロ野球の西武ファンとなり、生まれて始めて野球観戦@円山に。
光合成?が良かったのか、みるみるウチに関節の痛みも和らいでくる。
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学生生活満喫@1989

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1月、3年ぶりにスキー滑走。
さすがにブランクは多少あったものの、膝の痛みも感じず無事だった。
でも実質これが最後のスキーとなった。

RA反応も以前に比べると若干納まりつつある。
関節の痛みも比較的安定していた。

秋、修学旅行参加。
青函トンネルで東京(TDL)→新幹線で京都→神戸観光→大阪より空路札幌の
4泊5日は順調に終わった。
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壁@1990

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関節の痛みがジワリジワリと復活。膝と右手の甲。
右手の人さし指の部分、亜脱臼と診断。
これと言った治療法はなく、湿布を貼り、あまり使わないようにと言われる。
リポート提出が山のようにあるため、使わないようにというのはムリな話。

Hb(貧血)の数値が9台の為、増血剤の服用復活。1日1錠。

3年生になり、放送部に入部。機材が揃わず思うような活動出来ず。
後半、通信教育の壁にぶつかるも、何とか乗り越えた。
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負けず嫌い@1991

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18歳になり、すぐに車の免許を取得。
1発じゃムリっという周囲の反発心から気合いで全て見事1発合格。
が、翌日高熱でダウン。夜に吐血し、病院へ。
はしかと診断され、即入院。初めて40度以上の熱を経験。
2週間の入院後復活。こんな時、RAの炎症は落ち着いてくれていた。

通院の際、臀部にシオゾールを打ったあと、脳貧血を起こし、
血圧が上で70まで落ちる。即、点滴しコトなきを得る。
それ以降筋肉注射は腕しか打たないことにする。

アスピリン1日3回/2錠からロキソニン3回/1錠に変更。
ただ薬の名前が変わっただけ・・・との説明。

秋から近所のスーパーのレジのバイト開始。
4時間勤務で立ちっぱなしは足首に疲れが残る。
1日100人以上のお客さんとの触れ合いで人見知りを克服。
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転機@1992

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年末年始のハード勤務がたたったか、2月、股関節に激痛が走る。
立つことも、起きることもできない。
落ち着いた頃、病院に行くと、軽い疲労骨折と診断。数日間絶対安静。
ドクターストップの為、バイトはこれを機に退職。

同じ頃実行委員をしていた放送局より、バイトの話が転がり込む。
音楽業界で働きたいという夢が叶った。

3月、高校卒業。
RA外来も月1から2ヶ月に1回に変更される。

4月より本格的に社会人となり、バイトに励む。
掛け持ちで週1テレビ局でも働き出す。

12月末、チェッカーズ10年の活動に終止符を討つ。
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別れ@1993

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1月、成人式出席。3姉妹最後の成人式でもあり、振袖を着るように
説得されるが、最後まで反対しスーツ姿で出席。>親不孝だったか…υ

2月、母に子宮筋腫が発見し、手術。ガンも見つかり切除。

3月、1日で作り上げるイベント“300人ミュージカル”参加。
照明スタッフとなり、北海道厚生年金会館でピンライトを担当。
コンサートスタッフになりたいという夢が再燃。

4月より、集計係となり、アシスタント業に精を出す。

6月、母、再入院。腹水が溜まり出す。私には詳しい病状説明されず・・・。
抗癌剤治療などで、幻覚症状現れる。
7月、悪性リンパ腫と知らされる。
8月10日、危篤。病院に泊まる。
8月11日、10時36分、53歳にして最愛の母は帰らぬ人となる。

物心ついて初めての御葬式が実母になるとは・・・。
正座が出来ないため、イス席での御葬式にしてもらう。
数日間葬儀などで忙しい日々。

2週間の休暇のあと、仕事復帰。
仕事に勤しむ・・・。
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RA進行@1994

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左膝の関節がコキコキ言い出し、重だるい感覚になりだす。
右手人さし指の亜脱臼も固まり、指全体が外側に向きはじめる。
この状態の為、再燃していた夢は粉砕。

同時期、ラジオ局のアシスタント業務昇進のチャンスがあったが、
走り回ることが出来ずこれまた断念。
RAを恨む日々・・・。

夏頃、左膝の滑膜除去手術の話が主治医@RAから出る。
仕事の軌道に乗りはじめた頃のため、断る。
が、徐々に膝の伸びは悪くなる一方。
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多忙@1995

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4月担当番組変更。仕事内容も変わり、とまどう日々。

4月末、ウィルス性リンパ節炎。
リンパの腫れと40度以上の熱、吐血で10日間入院。
約1ヶ月休暇ののち、職場復帰。

左膝が痛いためにかばい、筋力も落ちはじめる。
全体的に体力もガタ落ち状態。
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至福の瞬間@1996

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完璧に左膝が“くの字”に変形が進み、またも手術の話が出る。
同院内の整形外科を受診。
手術に関してはうやむやになり、そのまま放置。

10月、藤井フミヤ氏のライブ終了後、関係者の軽い楽屋打ち上げに参加。
緊張・感激・感動を味わうが、ファンである前にスタッフであることを
念頭に置きながらも“チェッカーズの頃からのファンです”というと
“こんなに大きくなって”と言われ、握手。至福の瞬間・・・。
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途方@1997

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3月、レギュラー番組終了。
同局内の番組他、単発の仕事の傍ら、職探し。
同頃、Macintosh Performa 5430購入。

関節の痛みもあちこち再燃。
左膝をかばうため、右足首に負担がかかり出す。

服用薬ロキソニンからロブに変更。
薬品会社が変わったため・・・との説明。
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模索@1998

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職探しも思うように進まず、フリーでの仕事は継続中。

7月、RA健康手帳発行。
赤沈61、CRP1.0、RAHA640、Hb10.2、GOT11

11月、赤沈77、CRP1.9、RAHA160、Hb9.9、GOT29
CRPもHb(貧血)もあまり良くない。
増血剤の薬の服用勧められるも、様子を見るということで保留。

11月末、道東旅行後、ウィルス性リンパ節炎にてダウン。
39度台の熱で2週間自宅安静。
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転職@1999

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2月、ハローワークより、某通信販売会社のオペレーター勤務開始。
掛け持ちで働き続けるも、専念するため、3月、7年間勤めた放送局退職。

5月、原因不明のめまいで1ヶ月休職状態。過度のストレスが原因か?
1週間の点滴治療で強度のめまいはおさまるが、起立性低血圧状態は続く。

9月、完全にめまいは治る。
同頃、オペレーターだけではなく、社内を旋回する立場になり、負担激増。
左膝の痛みと変形はピークに達する。

12月、主治医@RAから人工関節手術を勧められ、翌年整形外科受診。
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決断@2000

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1月、関節包除去手術に踏みきることに決定。
治療に専念したいとの理由で、通販会社のオペレーター退職。

2月、手術執行。術後1週間でリハビリ専門の系列病院に転院。
4月末退院後も、リハビリ通院の日々は続き、RA外来は2ヶ月/1回、
血液検査とシオゾール@25ml、整形外科を月イチ受診。

8月末、公共交通機関が辛い為、ペーパー暦8年なのに愛車パジェロミニ
通称コパジェロくんを購入。リハビリ通院で運転を鍛えブランク克服。

9月末、障害者雇用促進会に出席し、某企業に就職内定。
10月より契約社員となり、9時〜17時までのフルタイム勤務。
リハビリは週1回、RA外来は2ヶ月/1回、整形外来は3ヶ月/1回受診。

12月、右の足首の痛みが激しくなる。
既に軟骨はすり減り、可動域はかなり狭まってきた。
関節補助と、上手く固まるように8の字に巻くサポーターを装着。

12月末、20世紀の集大成となる藤井フミヤ氏の大阪&東京ライブ遠征。
1泊2日の遠征は、さすがに強行軍。
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RAと仕事と遊びの両立@2001

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CRPの数値自体落ち着いてはいたが、関節破壊は徐々に進行。

3月、1年間出張していた内科のDrが副院長になって戻ってくると言うのと
整形外科の主治医もC病院専属となるため、13年通い続けたS病院から
同じ系列のC病院に転院を決断。

膨満感とげっぷの症状が治まらず7月、胃カメラ検査。
慢性胃炎と言われる。ストレスも要因か?

6月、頚椎の痛みが。レントゲン所見では、頚椎1番2番に6ミリのズレ。
RA用の頚椎カラー“Rカラー”購入。

同時期、両肘の痛みが激しくなる。
OTで可動域の保護のため、可動訓練を追加。

9月、勤務日数的に辛くなって来たため、
契約条件を週4日勤務、9時〜18時の勤務に変更。

同じ頃、今まで平気だった、右膝の痛みが出て来る。
この右膝の違和感は、左膝が変形して行く時と同じような違和感。

10月、Drと相談の上、ヒアルロン酸の関節注射を週に1度打つことに。
しかし、MR検査後、右膝関節内に滑膜の増殖が判明。

11月より、2週間に1度のステロイド注射に変更。
が、痛みも腫れも治まる様子がないことから、
11月16日の受診の際、滑膜切除に踏み切ることに決定。
仕事も一段落する来年1月中旬以降、C病院にて入院仮予約。
滑膜切除術自体は1週間程度の入院で可能とのコトだが、
個人的に、リハビリ専門のO病院にて、リハビリ強化合宿したい考え。

12月中旬から3泊4日の大阪遠征ひとり旅。
徐々に進行していくRA。いつ動けなくなるかわからないため、
今のうちにやりたいことをやってしまおうと無謀にも繁忙期に旅してしまう私。
自分への御褒美ってコトで。すっごく楽しい4日間だった。

今年はHPで知り合った新しい出会いのオフ会も盛んだった。
7月、七夕オフと十勝オフ。
9月、ランチオフ。10月層雲峡へお泊まりオフ。
12月、大阪遠征でいくつかのオフを決行。
RAでの生活の困難を抱えながらも、日常の生活を楽しんでいる皆さん。
私も負けられないっと、パワーを分けてもらった1年だった。
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20代最後@2002
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年明け早々、1月に右膝滑膜切除を施行。
3月、神戸にFFのイベントに参加中、愛ウサのラッキーお月様に帰る。
7月、富良野オフ。MAHOちゃんと北の国からのロケ地を巡る。
8月、沖縄旅行。無人島で南の島を堪能。
10月、左中指人工置換術施行。2週間の入院。
12月より、右膝の痛みが再燃。アルツやデポを打つ。
同月、2代目ウサ『マロ』我家の一員となる。
年末、武道館ライブ遠征。CDLに裕ちゃんと尚ちゃんゲスト。
歓喜乱舞なライブになった♪
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三十路@2003

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3月、東京にてフミヤ氏のキャロルカバーライブ、お台場遠征。
5月、右膝再手術。滑膜切除と内側の半月板部分切除。
腰椎麻酔の副作用で頭痛と食欲不振。麻酔科にてブラッドパッチの処置
(腕から採取した自血を腰椎の硬膜外に注入)
退院後の6月、職場復帰したばかりで、部署異動。毎日PCの日々。

7月、右足首の激痛で、デポ注射、
数日後、左中指(人工指)を車のシフトレバーで打撲。

8月より18年目にして初めてプレドニン5mg頓服で処方される。
同月、腹痛に襲われ胃炎、尿路結石と診断される。

9月、右肘痛。本来なら人工関節すべきだが、滑膜切除&筋移植勧められる。
まずは、ステロイド(ケナコルト)で様子見。効果大の為、オペ回避。
チェの楽器陣4人のメンバー『アブラーズ』ライブの為東京遠征。

10月末、3年勤続した会社を退社。
左肘と右手第2指MP関節にケナコルト注射。

11月、原因不明の蕁麻疹。数日後、呼吸困難と震えで救急車で運ばれる。
手の痺れ。肘部管症候群と診断。検査結果如何では、オペの可能性有り。

12月中旬、神経伝導速度の検査をし、年明けに尺骨神経移行術決定。

年末恒例フミヤ氏のCDL含む3公演ライブ遠征@武道館。
ベストテンSP中継で、黒柳徹子さん飛び入り参加。
「紙飛行機」玉葱頭に突き刺さる(笑)

前厄@2004

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遠征から帰り、翌日より頚部のリンパに腫れを伴い38度の高熱。
正月明けに病院行くも解熱剤のみ処方。回復する様子がない為、再び受診。
RA医の診察にて『壊死性リンパ節炎』と診断、即入院。
1/19左頚部リンパ節生検オペ。幸い悪性腫瘍ではなく一安心。
1/9〜2/3まで26日間の入院。
白血球低下などにより、肘のオペ当初年明け予定→3月まで延期。

3月11日、アブラーズ1stツアー@札幌。
2桁の整理番号のおかげで、トオル氏側の最前列ゲット♪
夢心地の3時間だった★

3月31日より大丸札幌にてFUMIYART開催。
30、31日札幌駅えき☆スタにて、ラジオ・テレビの公開生放送。
インフルエンザの病み上がりにも関わらず、前方に陣取り観覧。
アブラーズ同様、ニヤリ☆続き。

今シーズンから北海道に移転した北海道日本ハムファイターズ。
本拠地2戦目の4/3、札幌ドームにて野球観戦@RAオフ決行。
11対9の乱打戦の末、西武辛勝。

4月13日〜肘部管症候群による右肘の神経移行術の為、入院。
15日全身麻酔にてオペ施行。抜糸せずに術後4日目の19日退院。
(抜糸は外来にて)

5月より左膝の痛みと拘縮変形が再燃。隔週でアルツ注射開始。

7月23日アブラーズまつり。クラブのオールナイトイベント。
病をおしてクロベエがステージに上がりドラム叩く。
悲しい事にこれが最後のプレイとなった。

8月17日…徳永善也 永眠(享年40才)
9月13日徳永善也を送る会。
くしくも最後のステージとなったSTUDIO COUSTにて、献花まで6時間の列。

7月末より、医療事務コンピューターコースの短期講座に週2回通学。
三十路の手習いには厳しかったけど、面白い。

8月…整形の専門医として後期研修に来ているMDrが2000年に施行した
左膝授動術の症例を整形医学会で発表。

10月…医事オペレータ(メディカルオペレータ)と
メディカルクラーク2級試験。
試験終了後の10月26日、左膝関節授動術のため入院、28日オペ施行。
硬膜外麻酔を約2週間入れっぱなしで、CPMとROMリハビリの日々。
抜管後は、リハビリ病棟に転科して、リハビリ強化。
伸展維持装具を装着して歩行。
入院中、試験結果が来て、見事2つとも合格。やった〜!
外出して就職相談会などに出席し就職活動開始。
12月24日退院。60日間に渡る入院だった。
通院リハビリは週2回、膝の装具は無期限で装着予定。

病み上がりにも関わらず、年末恒例のフミヤ氏のライブ遠征。
装具をはめて行くも、激しい痛みもなくたっぷり堪能♪
っつ〜か、弾け過ぎ(笑)まっ1年間頑張った御褒美。
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再出発@2005

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RAになって、20周年のメモリアル。

1月21日…8週に1度筋肉注射しているシオゾールと併用して
抗リウマチ薬のリマチル(100mg)を処方される。
CRPは0台で安定してるものの、100近い血沈を抑えて、
関節破壊を遅延させるのを期待して。

同日、整形にて左肘にケナコルトの関注。

1月中旬より調剤報酬請求事務を受講。
病院での受付や病棟クラークなどで働くコトが希望であったが、
RA人にはハード過ぎる現場であるため、調剤薬局なら…っと気持ちが揺らぐ。
この際、介護保険についても勉強し、介護事務の資格を取得する予定。

本厄ではあるけれど、RAと共に上手く付き合って、
今年もやっぱり遊びも勉強も仕事も、自分なりに頑張っていきたい。

 ・・・・・・果たして、今後の展開は如何に・・・・・・?

05/1/24現在

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